留学報告記
平木 将紹 2010年
留学先 | 米国、 マサチューセッツ州、マサチューセッツ総合病院、ハーバード大学医学部 |
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留学期間 | 2010年8月〜2014年9月 |
※この文章は2010年の佐賀大学 一般・消化器外科の同門会誌への寄稿文を一部改変した内容となっております。
みなさま御無沙汰しております。2010年8月1日から米国マサチューセッツ州で研究留学を開始しました。この便りを書いているのは2010年8月末、ようやく1ヶ月経ったところなのであまり話もありませんが、この留学への思いや至った経緯、この1ヶ月間の様子を書きたいと思います。
私の海外への憧れは大学2年生の時に始まります。その当時CMで流れていた「タイは若いうちに行け」のままに初の海外旅行でタイを目指し、2週間の貧乏旅行をしました。そこで、いざ海外の中におかれた自分の小さな存在に気づき…体格も欧米人に比べ小柄で、英語もろくにしゃべれず、度胸もなく…そしてなんとか自分を変えたいという思いから、アルバイトでお金を貯めては、長期休みの度に海外へのバックパックでの貧乏旅行を目指すようになりました。そんなことを繰り返しながら「人生の内、一度は海外に長く出てみたい」と強く思う中で、大学院へ進学し、研究の面白さも相重なり研究留学への思いが次第に強くなりました。
留学までの道のりは、全く容易いものではありませんした。留学の絶対必要条件である大学院卒業と論文作成のための実験データがなかなか出ず、やっと論文を投稿できたのは大学院3年目の6月でした。そこからrejectの連続で再投稿を重ね、reject & re-submitでなんとか首の皮がつながった論文が10月に拾われました。留学先からは給与の確約が得られないため助成金を獲得するように言われ、8月頃から申請できる分は全て出しましたが、ろくに筆頭著者の論文があるわけでもなく話になりませんでした。早期卒業の目処はたったものの、留学できそうにない。どうしようか?と考えていた矢先、2月上旬に前任者の先輩から「留学を受け入れてくれそうだ」との連絡をいただき、そこからの急展開でなんとか今に至りました。
留学された方はどなたでもそうだと思いますがが、渡米直後は刺激的な苦労が続きました。人並みだろうと思っていました英語もことごとく通じず、今ではほぼ文法無視の、生きるための英語を気合いで話しています。英語で撃沈する度に、後輩からいつも言われていた「先輩、英語の学会発表で質問されてI have no ideaって答えていましたね」を思い出し、負けるか!と頑張っています。これまで無理だと思っていた英語での電話は、かけざるおえない状況のもと実践を重ね、「取りあえずかけてみるか?」みたいな度胸は出来たと思います。なぜか見知らぬ人から突然声をかけられる事も多く、なんとか対処し、別れる際に「Have a nice day!」の一言が最近では自然に出ているような気がします。この凄まじい程の成長は、私の1歳の子供の成長にどこか似たものがあります。
さて、私の所属するラボですが、メンバーはアジア圏で占められており、韓国人のボスと8名の研究員 (インド人2名、韓国人2名、香港出身イギリス国籍1名、中国人1名、日本人2名と1人の実験助手 (アメリカ人)の計10名です。ボスは180cmを越える大柄な体型で眼力もあり威圧的です。こちらに来て初めて面談した時こう言われました。「お前に求めている事はハードワークだ !前々任者は計3報の論文を書いた、前任者は2報の論文を書いた!」彼は会話の中に、shouldとかmustをよく使うのですが、ちょっと頭にきましたので、「俺は彼らを尊敬しているし彼らのようにやる。彼らが朝早くから、遅くまで実験をしたのは十分知っている」とそう言い返しました。
週に一回、ラボミーティングが行われるのですが、初めて出席したその会で「私が求めているものはトップジャーナルのみだ!」と、ボスから叫ばれ、身が引き締まる思いでした。このラボでは今年の4月から既に2名が解雇されました。同僚とも「次の候補は、テクニックがなく、英語もろくにしゃべれない僕らだから後がない!」と常に危機感をもって実験に挑んでいます。ラボメンバーの同僚はボスに「お前達を雇ったのは投資みたいなものだ。今は紙クズ同然でも前任者達の様に大化けする可能性に賭けている。ただ、結果がでなければ損切りする」こんな感じの事を言われたようです。実験の方は、こちらに来て2週間は手持ち無沙汰にし、せっせと試薬作りや、ベンチの片付け等、仕事をしている”ふり”が大変でしたが、ここ2週間は昼食をゆっくり食べる暇もないぐらい、時間に追われて実験をしています。
こちらでの生活は病棟からの呼び出しも、当直もなく、嫌という程研究に専念できます。毎朝20分の地下鉄車内では気になる論文に目を通し、研究モードのスイッチをいれます。そしてタフツ大学、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学の最寄り駅を過ぎ、地下鉄が地上に出てから突如見えてくるすがすがしいチャールズ川の朝の光景を見ながら、「よし!今日も頑張るぞ」と再度スイッチが入ります。そこから最寄り駅で降り、マサチューセッツ総合病院内を医師や研究者達とすれ違いながらさっそうと歩き、シャトルバスに乗り換え15分で自分の所属する研究施設に到着します。こちらに来て何度思ったかわかりませんが、やっぱりこの研究留学という選択は正しかったと思います。留学から帰って来た先輩が一様に言う「とにかくキツかった、でも楽しかった」その意味がなんだか分かるような気がします。この経験を生かして、外科医として必要な知識、度胸、自信そして語学力を身につけたいと思います。