留学報告記
平木 将紹 2011年
留学先 | 米国、 マサチューセッツ州、マサチューセッツ総合病院、ハーバード大学医学部 |
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留学期間 | 2010年8月〜2014年9月 |
※この文章は2011年の佐賀大学 一般・消化器外科の同門会誌への寄稿文を一部改変した内容となっております。
皆さん、このアメリカの地でなんとか1年生き残っています。2010年の8月から研究留学を開始し、もうこんなに経つのかと信じられない気分です。さて、この1年間の私の奮闘ぶりを報告いたします。
まさに地獄のラボで本当に鍛えられます。実験の方ですが、この1年でやった実験量は私の大学院の頃の10倍以上の様に感じますが、まだFigure 1Aすら出来ていない現状です。1年前から始めたメインプロジェクトは2回予備実験がうまくいかず、現在3回目の予備実験の準備中です。他のプロジェクトも3月にいただきましたが、最初の仮説が成立しないまま3ヶ月で終了。新しいプロジェクトを7月に1つ、さらに他のメンバーとの共同研究のプロジェクトを1ついただき、さらに8月に追加でいただきましたが、もう手がいっぱいになりながらこれらを同時平行してやっています。「こんなにやっても結果が出ないのは、私の手技のせいではないのか?」と自分を責める事もあります。
ボスからは2週間に1度の個別ミーティングを義務づけられていますが、良好な関係を築くためにも週に数回は報告するように心がけています。そのためかプロジェクトの進行状況に対するプレッシャーが厳しく、実験結果を貯めて小出しに報告する作戦をとっています。一番の地獄は持ち回りでまわってくるラボミーティングで、これまでの1年間で4回まわってきました。自分のプロジェクトの背景、進行状況そして今後の展開を発表しますが、毎回40枚近くのスライドを英語で1時間近く説明します。最初は原稿を作って覚えていましたが、そんな暇も徐々になくなり、というか開き直るようになり、恐ろしい程適当な英語でプレゼンしますが意外に通じているようで驚きます。このミーティングでボスの怒りを買うと…この1年で数人が解雇されて旅立ちましたが、一人は「good bye」も言わずに突然いなくなりました。恐ろしい環境です。他のラボに所属する日本人の研究者の中には、ラボミーティングや抄読会もなく、ボスからのプレシャーもなく、長期の休みが好きに取れる人もいるようですが、少なくとも私の環境はそうではありません。あと残りの留学生活でどこまで結果が出せるのか?解雇されるのか?ベストは尽くすつもりです。
英語は渡米して半年でペラペラになれると勘違いしていた私ですが、いまだに下手な英語のままです。周りの日本人もおおかた下手な英語しか話せませんし、聞き取りも必ずしも十分ではありませんが、誰もが実感していること….それは”外国人に対して躊躇しなくなった”という事実。話せない、聞き取れないと分かっていても話しかけてみる。とりあえず受話器を取って電話をかけてみる。”果敢に攻める姿勢”だけは身に付きました。
ラボ以外での生活は最高としか言いようがありません。アパートの部屋から一歩出るとそこはまさに異国。海外で奮闘する一人の日本人として、勝手に一人「情熱大陸」の世界にひたっています。日本では味わえない非日常が今の私の日常。異国情調あふれるレンガ造りの街並にたたずむ私…ボストン一のお洒落な通りNewbury Streetでの夕食。ラボの近くから船でボストンハーバーを渡り、イタリア人街North Endで職場の同僚と会食。通勤時に眺める観光名所の数々。週末旅行は車でNew York やNew Jersey州へ。日帰り旅行はNew Hampshire州やMaine州など。それとボストンはスポーツが熱く、今年はアイスホッケーのBoston Bruinsが北米チャンピオンになり優勝パレードなどで盛り上がりました。野球もBoston Red Soxを仕事帰りにふらっと見に行けます。生活の方は、当初、貯金を切り崩す貧乏暮らし余儀なくされていましたが、なんとか日本学術振興会の海外特別研究員に採用され助成金をいただけるようになり、生活が安定しました。
今の私の状況はとても精神的や体力的にキツいのですが、その生活を非常に楽しんでいます。これで実験結果が出だせば言う事なしと、その日が来るのを信じて実験を続ける毎日です。厳しい環境に身をおいてこそ得られるものも大きいと信じ、成長できればと思っています。