留学報告記
平木 将紹 2012年
留学先 | 米国、 マサチューセッツ州、マサチューセッツ総合病院、ハーバード大学医学部 |
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留学期間 | 2010年8月〜2014年9月 |
※この文章は2012年の佐賀大学 一般・消化器外科の同門会誌への寄稿文を一部改変した内容となっております。
みなさま御無沙汰しております。2010年8月から研究留学を開始し早いもので2年が経過してしまいました。本来なら今頃は日本で臨床を再開しなければならない頃ですが、まだこの地で粘っています。
苦しい研究…そろそろ研究内容に触れなければ「あいつはアメリカで何をやっているんだ?」と思われますので自分の研究内容を紹介したいと思います。私は幾つかプロジェクトをいただいていますが、メインでやっているのはある遺伝子変異を標的にした新規抗癌剤の開発です。high throughput screeningという方法を用いて数万個の化合物から候補を探しますが、これまでに2度スクリーニングでは満足のいくものが見つけられず、システムを若干変更した3度目のスクリーニングを昨年の12月から開始して、ようやく明らかに”positive hit”と言えるものを6万個の中から6個見つける事が出来ました(6万個と言っても製薬会社がやっている規模と比較すると話にはなりません)。そこから3種の”とある微生物からの抽出物“が最後の候補に挙がり、ハーバード大学医学部の生化学・分子薬理学のラボと共同研究し単一化合物の検索をしましたところ、興味深い事にこの3種の候補から同一の小分子化合物が見つかりました。この時ばかりは共同研究者と一緒に興奮しましたが、その後なかなか仮説通りの結果が次から次に出るわけでもなく厳しい日々が続いています。これがだめならさすがに諦めもついて気持ちよく日本に帰れるか?などと考え始めている今日この頃です。小さな仕事であればいくらでも形に出来ているような気がしますがボスの要求は非常に高く、big journal にならないようなデータは次から次に斬り捨てられていきます。喉から手が出る程論文が欲しい私にはかなり悲しくなる現状ですが仕方ありません。所属するラボは非常に厳しいところで、ここ最近のラボメンバーの出入りも依然激しく(解雇されては新しい人が雇われます)、この辺りではすっかり恐ろしいラボとして有名です。ラボには8月現在8人在籍していますが、私もすっかり4番目の古株になってしまいました。
英語…英語に関しては全然理想とする英語が話せません。もちろん努力不足は明白です。毎日”攻める英語“を心がけていますが話したい言葉と口が連動しません。では全然話せないのか?下手です。とても下手です。でも原稿なしでのプレゼンや電話も普通に出来るようになりました。
休暇…渡米して2年でやっと初めての休暇をとりました。プロジェクトが全然進んでいないのと、周りがどんどん解雇される環境の中で「休みをください」となかなか言えませんでしたが、私達のvisaの期限が切れるということもありましたので、visaの更新も兼ねてカナダへ旅行しました。首都オタワ、フランス語圏のモントリオール、カナダ最大級の都市トロント、そしてナイガラを1週間かけてまわりました。ナイアガラではホテルから滝を眺められる景色を楽しみ、さらに、たまたまギネス記録に挑戦するというナイアガラ滝上の綱渡りを見る事が出来ました。この旅で車での総走行距離は2400km程でしたが、これは鹿児島から北海道の距離に相当し北米大陸の広さを改めて実感しました。
スポーツ観戦…昨年からスポーツ観戦にはまりました。アメリカンフットボールのNew England Patriotsはアメリカン・フットボール・カンファレンス決勝を観戦。この試合に見事勝利しスーパーボールに進みました。バスケットのBoston Celticsのプレイオフでの会場一体感は最高でした。お決まりのRed Soxは日本人選手のカードを中心に見に行きまして、イチロー選手、川崎選手、岩隈選手、上原選手、ダルビッシュ選手などを見ることができました。
私の今の心情としましては、勝てないパチンコ台にお金を次から次に投入し、「きっといつかは出る!」と信じながら台を打ち続けている。そんな感じです。全て飲み込まれてしまい後には何も残らないのか?それともいつか大爆発するのか?しかしそれがいつ来るのか?いつまでこの台を打ち続けていいのか?途中で諦めて早く日本に帰るべきか?難しい問題ですがベストを尽くします。