留学報告記

平木 将紹 2013年

留学先 米国、 マサチューセッツ州、マサチューセッツ総合病院、ハーバード大学医学部
留学期間 2010年8月〜2014年9月

 

※この文章は2013年の佐賀大学 一般・消化器外科の同門会誌への寄稿文を一部改変した内容となっております。

 

みなさま御無沙汰しております。今回で4回目となります留学便りです。臨床に戻らねばならないのに、この地で一体私は何をやっているのでしょう。去年の留学便りをみた後輩に、楽しいばかりの研究留学と勘違いされましたので、この苦しい研究生活を主に報告いたします。

 

昨年の報告では研究が軌道に乗りかけていると書きましたが、あの後から本当に大変でした。昨年9月頃より2ヶ月以上も全くデータが出ずボスからの風当たりも強くなり、”もう助成金が終わる3月末で日本に帰れ。お前には給料は出せない”の雰囲気が漂っていました 。完全に匙を投げられた状態でしたので、もうこれは志半ばに日本に帰るしかないか?そう思っていた所に、やっと12月末に1つだけpositive dataが出ましてボスも機嫌を直しました。そして、追い風が吹くかのように、わらをもつかむ思いで出していた上原記念財団の海外留学助成金の獲得に成功し、金の切れ目が縁の切れ目と思われたクビの皮がなんとかつながりました。その後一進一退を繰り返していましたが、この便りを書いている9月現在、プロジェクトが全然進まなくなり毎日苦しい思いをしています。あとfigureが2つ程でストーリーが完結するのですが、全く結果が出ず先が見えていません。もう時間がない中、ただただ焦る毎日です。私でこのプロジェクトを完結できるのか?それとも誰かに引き継がれて取られてしまうのか?今、改めて思いますが、留学と言う事に関して自分の考えが甘かったと思います。最低でも日本でJBCやCancer Research以上の論文を持てるだけの研究力、海外留学助成金を留学前にとれるだけの業績、そして不自由のない英語力、のうち最低でも2つでも持っておかなければ留学という言葉を口にすべきではかなったと思っています。もう数えきれない程の恥をかき、きつい目にあい、プレッシャーをかけられ、追いつめられました。それで自分自身が成長し強くなったのも事実ですが、それほど確立した背景がなければ基礎研究系の海外留学は難しいものだと実感しています。もちろん遊びの留学、箔付けだけの留学のことは指しませんし、無給での留学やこちらで結果を求めなければ別の話です。この3年間で不本意にこのラボを解雇された人は8名。論文が出て笑顔でラボを去っていった人は2名。限りなく前者に近い現状ですがベストは尽くします。もう資金も底をつきますので来春頃には帰国します。

 

こちらで数多くの日本人研究者と出会いましたが、他の研究者も大変のようです。ラボやボスと合わないため途中で解雇され、自分で就職活動して新しいラボを探して移動した日本人を4人程知っています。私が出会った日本人研究者のうち、おそらく1/3以上の人は日本から何らかの助成金を獲得して来ています。そして1/3ぐらいの人は無給で来ていますが、こちらに来てからも日本やアメリカの助成金獲得を目指し、2年目以降に給料交渉をするために結果を出す事に必死です。やはりボストン界隈は世界的に見ても研究分野のトップクラスですから、無給でも来たいと言う人が後を断ちません。ボスから給料が出ているのはおそらく1/3ぐらいの人達ですが、これはこちらでの研究が長くてボスから信頼を勝ち得た人や、こちらのボスが日本のボスと共同研究をやっているとか、昔からの知り合いとかいうケースがほとんどです。アメリカの研究資金も年々カットされていますので、それに耐えられないラボは閉鎖されていっていますし、資金がカットされればそれだけ人が雇えないので、使えない人はクビを宣告されるわけです。この状況は年々厳しくなってきていますので、今後、基礎研究留学をしたい後輩達は、5年以上前から真剣に計画して本気で取り組まなければならないと思います。

 

さて、皆さん御存知とは思いますが、このボストンの地で4月、ボストンマラソン無差別爆弾テロ、それに続く警官射殺事件、市内銃撃戦が起きました。爆発が起きた時、私は仕事をしていましたし、家族も今年はマラソン観戦に行かずおとなしく家におりましたので無事でしたが、爆発現場の50mのところで観戦していた友達や、ゴール地点まで1km手間の所を実際に走っていた友達がいました。いつも通勤で通る病院内からは数多くの救急車や報道関係の車両、そして自動小銃で武装した兵士がみられました。そして市内銃撃戦があった場所は、アパートから5kmのところでしたので、アパートすぐ横の通りは数分毎に何十台と言う警察車両や救急車が通り過ぎ、外出禁止令が出され、数時間毎に職場や日本領事館からメールが入り、犯人が捕まるまで非常事態が続いていました。こちらに来て3年、私達の生活圏はとても安全なところで危険な目にあったことは一度もありませんでしたが、この事件は非常に驚いたとともに、改めて日本は平和な所だという事を再認識しました。

 

今回は文章による楽しい報告は全然ありませんでしたが、今の私の心境としましては、とにかくきつい!早くプロジェクトを終わらせて日本に帰りたい!それにつきます。このアメリカ生活は2年では短いと感じていましたが、やっぱり3年以上になると体力的に限界を感じてきています(お金も潤沢にあってデータも出てれば別でしょうが)。あとやるべき事、目標は

1)プロジェクトを終わらせる

2) 英語をもう少し上達させる (ペラペラの領域は無理でした)

3) 日本人研究者ネットワークをもっと広げる (積極的にあらゆる交流会に参加しています。

4) フルマラソンに挑戦も頑張ります。

 

冬の間に凍ったチャールズ川

病院の最寄り駅であるチャールズMGH駅からの夕焼け

実験の光景

ボストン・レッドソックスの優勝パレード

紅葉を見に車でカナダのモントランブランやモントリオールへの旅行

 

前のページへ戻る

ページTOP